昔は今では言えないような○○をしていた!?その壮絶な過去とは? 株式会社ワイドコミュニケーションズ 松井保さん
今回の動画では、株式会社ワイドコミュニケーションズの代表取締役社長である松井保さんがゲストとして招かれています。
テキストをご希望の方は下記の要約をご覧ください。
株式会社日本ワイドコミュニケーションズの松井社長が、自身のルーツ、キャリア初期の経験、成功への考え方、そして社員への思いについて語っています。
- 故郷とキャリア初期の経験
• 松井社長は島根県大田市、世界遺産石見銀山がある町の出身で、28歳まで故郷で過ごされました。
• 起業する前の最初のキャリアとして、リゾートトラスト(エクシブホテルを運営)に入社しました。
◦ この会社を選んだのは、自分自身を鍛えたいという明確な目的があったためだと述べています。
◦ 当時の営業は「今ではちょっと言えないぐらい」厳しかったそうですが、その経験によって大いに鍛えられたと振り返っています。
◦ 経営者など、社会的地位の高い方々と接する機会が多く、きついと感じるよりも「ためになった」という実感を持ち、その経験が現在の仕事にも生かされていると語っています。
◦ 高級会員権を販売する中で、「いつか自分も顧客として買えるようになりたい」という目標を持つようになり、それが自身の原点の一つになっているとのことです。 - 松井社長が考える「成功」
• 「成功したか」という問いに対して、社長はまだ「夢半ば」であるとし、はっきりとした成功を定義するのは難しいと述べています。
• しかし、自身の考える成功の形として、「成功に導いてくれるような人たちに意外と会えていること」を挙げています。
◦ 20年前にはテレビの向こう側でしか見えなかったような、遠い存在の人々に会えたこと自体が、「ある意味、人生の成功」だと感じているそうです。
◦ こうした人との出会いが、現在の事業拡大にも繋がっていると語っています。 - 故郷・島根への思いと雇用創出
• 以前から語っていた故郷である島根での社会貢献や雇用創出については、すでに10人以上の雇用が生まれており、「ある意味、叶っている」と認識しています。
• ただし、松井社長が重要視するのは単に雇用人数だけでなく、スタッフ一人ひとりが「笑って満足しているか」、そして「島根出身であること」を「自信を持って言えるようになっているか」という点です。
• 20年前は「島根の出身です」と言っても「それ、鳥取では?」と笑われるほど認知度が低かった時代を知っているからこそ、故郷の発展と、スタッフが誇りを持てる環境作りへの強い思いが伺えます。 - 社員への感謝とリスペクト
• 将来的な社員との関わり方について、松井社長は「何人いようと、感謝でき、リスペクトできる社員たちがいてくれたら嬉しい」と、その思いが唯一の願いであると語っています。現在もそのような社員が会社にいることを喜んでいます。
• インタビュアーは、この松井社長の考えが、政治家・後藤新平の「金(かね)残すは下(げ)、事業(じぎょう)残すは中(ちゅう)、人(ひと)を残すは上(じょう)」という言葉に通じると指摘し、結局は「人」が重要であるという点で松井社長の経営哲学と一致すると述べています。
• 同社は現在、社員数100人を超え、さらに新しいことにも挑戦しようとしている、大きな転換期を迎えていることが示唆されました。